唐突ですが、皆さんにとって「母親」というのはどのような存在ですか。

  • 世界でたった一人の存在
  • 自分を産んでくれた存在
  • 子供の時、支えてくれた存在

感覚は人それぞれですが、総じて「大切な存在」ではないのでしょうか。

私は、中二の時にその存在を亡くしました。今から3年ほど前のことになります。

その3年を、この記事で振り返ろうと思います。

  1. 母との死別の時に感じたこと
  2. 「普通の家庭」との違い
  3. 立ち直るときに学んだこと
  4. 今、当時の私に伝えたいこと

以上の主に4つのポイントにフォーカスを当てて、自分自身の整理のためにも綴ろうと思います。

私自身の、「生の感情」をさらけ出す記事となっているので、多少暗い気持ちにさせる可能性があることを予めご了承ください。

私と同じような境遇にいる方やつらい状態にいる方には、何かためになるような情報があるかもしれません。

是非最後までお読みいただけますと幸いです。それでは本編へ。

母がいなくなった日のこと

その日は、ごく普通の日でした。その当時の私は不登校だったのですが、徐々に学校に復帰しつつありました。

朝7時に起き、学校に行き、授業を受け、給食を食べ、家に帰ってきました。そこまでは普通でした。

ただ、家のどこにも母がいなかったことは気になってはいましたが、、、。「どこかに出かけているだろう」程度に感じていました。

父は19時くらいに帰宅、そしてその30分ほど後、家に警察が来ました。

そして、「○○○○(母の名前)さん、もう亡くなられたんです」と言われました。

時が止まりました。

衝撃とショックで言葉が出ませんでした。

父も泣き崩れていました。あのような姿の父親は、見たことがなかったです。

母の死を告げた警察官の方も、つらかったと思います。

  • 「遺体はどこの病院にある」
  • 「今後の葬儀のスケジュールは」
  • 「行政手続きは」

これらのことをただ淡々と説明していました。

私は、「人が死ぬのって、こんなに大事なんだ」とただ茫然と床に座り込むことしかできませんでした。

一通りの説明が終わった後、過去の経緯や当日に何があったのか、などを警察に質問され、それにひたすら答えて、その日は終わりました。

夜の12時くらいに自室で床に着いて、しばらく寝られなかったのですが、気付けば寝落ちしてました。

あの日は、私の人生史上最も長い一日でした。

そして、私が一生忘れることのできない、忘れてはならない一日となりました。

「本当に会えなくなる」とは

翌日に、父型の祖父母、母型の祖父母や母の兄弟が参列したうえで、通夜が行われました。

そしてさらに翌日に告別式、出棺、火葬が行われました。

特に、棺を火葬炉に送り込む瞬間は最もつらい瞬間でした。

炉の前から肌に伝わってくる熱、「ボ~」という鈍い音、それらを一生忘れることはないでしょう。

「もう、生きている間は会えない」そう強く感じました

そして同時に、母に対する申し訳なさでいっぱいになりました。

  • なんであの時あんなにきつくいったんだろう
  • なんであの時「ありがとう」を言えなかったんだろう
  • なんであの時「ごめんね」が言えなかったんだろう

そういった思いに襲われました。してもしきれない後悔です。

車で斎場に戻り、繰り上げ法要と精進落としを頂いて、再度火葬場へ。

橋渡し/骨上げを描写することは避けますが、「もういないんだな」と感じました。

涙すら出ませんでした。

火葬場の方の「これにて終了でございます」という言葉を以って、「本当に」全てが終わりました。

再度斎場に戻って写真を撮り、全て解散となりました。

「普通の家庭」との違いに気づいた瞬間

私の学校や父の仕事は、忌引き休暇で一週間お休みとなりました。

毎日が暗く、絶望の中での日々でした。

「母親がいない」という事実はとてもつらく、暗いものでした。

忌引き休暇明け学校に戻り、友人からは

  • 「大丈夫だったか?」
  • 「心配したよ~」
  • 「無理するなよ」

こういった言葉を頂きました。

流石に「母が亡くなった」という事実は伝えられないので、「大丈夫だよ。ありがとう」と作り物の笑顔で答えました。

担任からは何もありませんでした。というより、何も言えなかったのでしょう。

この先生からの反応は、ある意味では救われました。

しかし、学校での生活の節々で「普通じゃない」と感じる場面がありました。

1.家族の話題

友人との会話の中でも、家族の話題では「合わないなあ」と感じることが多かったです。

  • 「うちのママがこんなんで~」
  • 「なんで弁当にこれ入れるんだよ、、、」
  • 「成績に関してうるさくて~」

ごくごく当たり前な会話だと思います。

でも、その瞬間だけ、自分だけ会話の外にいるような感覚でした。

愛想笑いで「そうなんだ」と返す。それ以上でも、それ以下でもない返事。

お母さんか。もう、俺にはその存在はいないんだな。

悲しいというより、不思議な感覚でした。

みんなが当たり前に持っているものが、自分にはない。

それがどういうことなのか、子供の自分にはうまく言葉にできませんでした。

2.人に対する言葉遣い

もう一つ、強く感じたのは言葉遣いです。

  • 「マジでタヒねよ!」
  • 「最悪、お前ゴ○じゃん」
  • 「あいつ、マジでク○」

大体の中学生の男子の会話なんて、こんなものです。

けれども私からすると、なんかモヤモヤが止まりませんでした。不快でした。

本当に人を亡くしている側からすると、「本当にタヒんだらどうするの?」と言いたくなります。

私が、「ごめんね」や「ありがとう」を伝えられなくて後悔しているからこそ、です。

3.部活動

精神的なショックもあって、部活動にもいかなくなりました。というより、行けなくなりました。

顧問には事情を話した上で、「もう続けられない」という旨を伝えました。顧問に理解を頂いたことは感謝しています。

部活動のチームメイトからは

  • 最近部活来てないけど大丈夫?
  • なんかあった?
  • みんな待っているよ

このようなことを言われていました。中には、「来いよ」というようなこと言ってくる人もいました。

「周りは練習している、けれども私はサボっているとも感じ取られているかもしれない」

そういったことがあって私は部活動、特に運動部に関して嫌悪感を持つようになってしまいました。

3年たった今でも、です。

家庭内での変化

家庭の方では、さらに大きな変化が起きました。人が一人いなくなったのですから当然と言えば当然、ですが。

1.当時の父の大変さ

母が亡くなって最も大変な思いをしたのはだれか、と言われれば間違いなく父親です。

単純に葬儀だけで100万以上のお金が消えたそうです。

また、母親が受け持っていたことも、たった一人でしないといけなくなったのです。

  • 仕事
  • 家事/掃除
  • 料理
  • 仏壇へのお供え
  • 学校とのやり取り/連絡

これらをたった一人で受け持っていたのです。子供ながらに、大変だったと思います。

夜遅く、22時くらいに家に帰ってくる時の父親の表情は、本当に見ていてつらかったです。

2.吐けない弱音

父親がそこまで頑張ってくれている、生活を支えてくれていたので、私はある種の申し訳なさを持つようになりました。

家のことも、学校のことも、仕事もしてくれている。

「してもらっている」側ゆえに、父への不満や愚痴、弱音などを吐けなくなりました。

私が「疲れた」と感じる以上に、父親の方が疲れているからです。

  • 父の方がしんどい
  • 父の方が何倍も頑張っている
  • 父に養ってもらっている

このような事実があるがゆえに、私自身の悩みやストレスは、私だけで解決しないといけないようになってしまいました。

今までは、母親に打ち明けていたのですが、もう話を聞いてもらえることもないのですから。

結果的には、その当時あまりコミュニケーションを取れませんでした。

今でも父との間には「言葉の溝」があるように感じています。

母との死別から学んだこと

母との死別によって生まれたのは、悲しいことだけではありません。

同時に私自身の

  • 「生涯の目標」
  • 「思考」
  • 「判断基準」

このようなものを与えてくれました。

これらの詳細は別の記事にまとめていますので、そちらをご覧になってください↓

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この記事では、「成長できた」と実感したポイントを解説していきます。

1.家事/料理のスキル

部活動に行けなくなった私が、代わりにするようになったのが、料理と家事です。

  • 洗濯
  • 掃除
  • 料理

こういったものは一通りできるようになりました。

父親が出張で2日間家にいなかったときでも、全くもって問題ない程度に、です。

このタイミングで得たスキルは、これからの人生で間違いなくプラスに働くと感じています。

2.相手の側を考える力

話し合っている男性

前述の通り、「ありがとう」「ごめんなさい」などを伝えることができなくて後悔した経験があります。

だからこそ、「相手がどう感じるか」ということを考えられるようになりました。

  • 「ク○!」→「よくないよね」
  • 「タヒね!」→「あんまり好きじゃない」
  • 「ゴ○!」→「いくら何でもそれはないでしょ」

意識的に、こういった言葉に置き換えるようにしました。

感情的になりそうになった時に、何とか抑えるように心がけています。言いすぎて、ものすごく後悔した経験があるので。


主に、この二つの面で成長することができました。

亡くしたものは大きいと感じています。けれども、得た物もそれなりに大きかったと感じています。

最後に、母を亡くして3年たった私から皆さんへ、そして母を亡くした当時の私へ伝えたいことを記して締めようと思います。

皆さんに伝えたいこと

1.後悔は薄まれども消えない

過去のことを後悔している女性

何度も記してはいるのですが、母を亡くした時、生前の接し方について非常に後悔しました。

3年たった今でも、その後悔は薄まることはあっても残り続けています。というより、一生残り続けるでしょう。

皆さんには、できるだけ後悔をしてほしくはないです。

皆さんの身の回りにいる、

  • 家族
  • 友人
  • 仕事の同僚

こういった人たちのと関わり方を、今一度見直してみてはいかがですか。

立場の上下や関係性の時間などを抜きにして、「一人の人」として接してあげてください。

2.何かを失う時、得るものも生まれる

何かを得て、同時に失っているイメージ

私自身、母という大きな存在を亡くしましたが、同時に大きなものを得ることができました。

そして母以外にも、失ったものは他にもあります。

そのたびに教訓を得て、また何かを失い、そして教訓を得る。人生はこれの繰り返しではないかと思います。

一見ネガティブに感じることでも、必ず得るものがあります。

「何を失ったか」ではなく、「何を得たか」ということに目を向けましょう。

3.人生はやり直しがきかない

一方通行で、引き返せない道

最後に、後悔と併せて伝えたいのが、「やり直しがきかない」ということです。

二度と同じ日は来ません。後悔をしたとて、やり直すことはできないのです。

そのことを思い知ってから、毎日ダラダラと過ごすことが減りました。

  • 今日はどんな一日を送ろうかな
  • 明日をどのようにして素敵なものにしよう
  • 昨日よりもいい一日を過ごそう

このように考えながら生きることが増えました。

皆さんもこの意識を持てれば、より明るい日常を送ることができるのではないでしょうか。

具体的なアクション方法などは、当ブログ記事にすべて揃っています。ぜひともご覧ください。

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まとめ

今回の記事では、より私の深い感情や経験にフォーカスを当てて記事を制作しました。

多少重苦しい内容ではありましたが、私自身の気持ちや現状も整理することができました。

この記事が、皆さんのよりよい人生の一助となれば幸いです


このブログは、中二で母を亡くした筆者が

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